「今さら聞けないA-2のちょっとだけ深イイ話」
日本製レプリカA-2が誕生したのが1988年ごろ...現トイズマッコイ会長の岡本博氏が「生みの親」と云ってもよいでしょう。インターネットやスマホがない時代です、唯一の情報はマニアックな月刊誌「コンバットマガジン」での小さな掲載(確か広告だったと思います)でした。その頃でも10万円くらいの希少で高価なものでした。あれから30余年が経ちますが振り返れば深い歴史を感じます。
どう深いのか?
今年の8月で終戦から74年目ですが、レプリカA-2にはその半分に値する30余年の歴史があるのです。このコラムでは、その歴史あるType A-2についての「ちょっとだけ深イイ話」を書いてみましょう。
〇Type A-2ってどんなジャケット?
多くの方がご存知のとおり一言でいえば「米軍の飛行服」ですが、もう少し詳しく掘り下げると...。
1920年以前のアメリカでの軍隊は陸軍が主力でした。アメリカが第一次世界大戦(1914年7月〜1918年11月)に参戦したのはその終戦1年前の1917年8月...ヨーロッパ上空ではドイツ、イギリス、フランスの複葉機が空中戦を交えていました。その光景を見たアメリカは航空機という新兵器の重要性を痛感することになります。その後、米陸軍内で航空への関心が高くなっていき1926年、アメリカ陸軍航空隊(USAAC)が発足されます。そこで生まれたのがA-2の前身となるType A-1ジャケットです。その後、度重なる改良の末にに誕生するのがType A-2です。余談ですが陸軍と同じスタンスで航空機とその装備品の開発に携わったていのが1921年に設立されたBUAERO(米海軍航空局)です。米政府(米軍)は航空業務において陸軍航空隊より先に海軍に力を注いでいたのです。

〇Type A-2が着れる資格
飛行服であるA-2も飛行士の誰もが着ることを許されたわけではありません。CAPTAIN(大尉)以上の資格を有する航空士だけが着用を許されていました。機長、副操縦士、航法士がそれにあたります。B-17フォートレスのクルーでも銃手たちはType B-6やB-3でしたね。A-2はエリート集団のユニフォームだったのです。

〇Type A-2の変革
A-2が米陸軍航空隊の飛行服として正式に採用されたのが1932年、以後1944年までの12年間、サマーフライトジャケットとしてパイロット達の相棒を勤め上げたのです。茶色に塗られた馬革製がポピュラーですが、米国が第二次世界大戦に参戦した1941年12月以降には、ごく少量のゴートスキン(山羊革)A-2も存在しています。Type A-2が第一線から退くのは1945年ですが、それまでに生産されたA-2の総数は80万着以上と云われています。政府所有の軍事工場の他、民間企業が生産した入札制度による納入分も数多く存在しています。ラフウェアやJ.A.ドゥボウ、ウェーバースポーツウェア社などがそれです。さて、そのType A-2にも様々なタイプが存在しています。例えばその色合い....「シールブラウン」と「ラセットブラウン」。前者が濃いこげ茶色で後者が普通の茶色です。MILスペック(軍が指定する仕様書)では、茶色としか記されていないようで濃淡については触れていないようです。それでも両者が存在するのには諸説ありますが、1943年以降のモデルがシールブラウン、それ以前がラセットブラウンが多いと言われています。1943年、軍当局は供給されているラセットブラウンA-2を回収し、シールブラウンに塗り直し再供給したと云われています。暗い色の方が視認性が悪いので敵から見付けられ難いという理由のようです。
そしてもう一つ、「台衿あり」「台衿なし」という話。衿と身ごろの接合部に細いパーツ(シャツと同じです)が付くタイプを「台衿仕様」、無いものを「台衿なし仕様」と呼んでいます。増産を余儀なくされた1943年以降、生産効率UPと簡略化を目的に施行された変更です。只、15年間の中でこれだけのわずかな変更だけで一線を全うできたのは、A-2が持つ着易さや機能性が高く評価されていたから他にありません。

〇付属パーツのチェック
・エポレット.......肩章と呼ばれる部分です。ここには階級章が付けられます。何枚かの革で製作されたクラフト製と直描きされた2タイプが見受けられます。撃墜された兵士を機体から引き出す際にここを持って引っ張り出したと云う逸話があります。

・ジッパー.........前身のType A-1から大きく進化したのが開閉式ジッパーが付けられた前身ごろです。ここには5番というサイズの金属製ジッパーが使用されています。様々なジッパーブランドが存在していますが最も有名で憧れるのはTALONジッパーでしょう。中でもベル型タロンと呼ばれるこのモデルはスライダー(引手)が勝手に下がらないオートロック構造が採用されています。ジッパーは袖口や裾のニットパーツと同様、交換可能な消耗品です。日本のレプリカブランドでは自社のA-2に限って回収し、補修する有償リペアサービスを行っています。

・衿下織ネーム.....この小さなスペースに様々な私的軍事的情報が記載されています。TYPE A-2と云う名称をはじめ、図面コードや年度契約ナンバー、担当工場名などです。必ず入るPROPERTY AIR FORCE U.S.ARMYの文字は、「軍の所有物」であることの意味を記しています。ここにA-2のカッコ良さとアメリカの強さを感じた方は多いと思います。

〇Type A-2に使われる馬革は...
1930年代、欧米諸国では様々な革が用途に合わせて使用されていました。敷物なら羊のシープファー、馬具や家具には牛革、衣料には馬革や山羊革と、用途に合わせて使い分けられていたようです。米陸軍航空隊に初めて採用された革製飛行服Type A-1も後継のA-2も馬革が主流です。さて、その馬革はどのように生まれてくるのでしょうか。革は元々食の副産物、破棄するのではなく再利用を目的で生まれたものです。当時の馬革は植物タンニン鞣しという古来から伝わる手法で作られます。皮を革に変える工程です。1930年代の欧米、特にヨーロッパ諸国で革生産は重要な基幹産業でした。そこで作られた馬革に染料や顔料で着色して茶色の革となりますが、植物タンニン鞣しで生まれた馬革は、丈夫なだけでなく身体に吸い付く着心地が得られるのです。勿論、牛革や山羊革にはない細かな皺や擦れて出るツヤなど、馬革ならではの表情もまた大きな魅力です。現代のレプリカA-2のほとんどが今も当時と同じ植物タンニン鞣しが施された昔ながらの馬革が使用されています。年々減少していく馬革、消滅する前に手に入れておきたいものです。貴方だけの年輪を刻んでください。
Type A-2に使用される馬革は1.3mm厚前後の上質な革が厳選されます。牛革のように革鋤(革を薄く鋤く工程)をしない為、職人による確かな目利きが必要となります。1着のA-2を作るのに2.5頭(半裁換算)分の馬革が必要となります。牛革より少ない流通量であり、しかも植物タンニン鞣しという限られた製法が価格に反映されているのはいたし方のない事実です。

参考:世界の傑作機 ボーイングB-17